、深緑、信濃、?

それに気が付いたのは、それこそ突然のことであった。何の前触れも私は知らない、気づけなかった。だが、予兆があったとしよう、それでも当時の私にはそれに対して何をすることも何を変えることも出来なかった、そうも思える。
深緑の本丸で世話になって、それは三月程経ったある日のことであった。

「今日もおつかれさまー」

深緑のそれを合図に刀たちが一斉にただいまと返事をする。いつもの光景であり、またこれは日常的に行われていたことであった。かすり傷をたんとこしらえた出陣部隊の面々は、口々に疲労の言葉を零す。今回はなかなか厳しい物があったようだ。だが、それでもかすり傷程度で済んでいるあたりに実力の程が伺える。

短刀のひとりが此方へと小走りでやってきた。

「ただいま戻ったよ!」「おかえりなさい」「ねえねえ、今日は俺と一緒にお風呂入ろうよ。いいでしょ?約束通り秘蔵っ子の力、見せてきたんだからさ!」「はいはい」

信濃が嬉しそうに片腕を上げた。他の部隊メンバーに嬉しそうに報告しては、よかったねと可愛がられている。深緑の本丸において、私は信濃にやたらと好かれていた。一緒にご飯食べたり、お風呂に入ったり、布団に潜って色々な御伽話を語り合ったり。懐いてきた子どもを可愛がっている感覚である。それくらいに信濃はべったりであった。

またあとで、と手を振り去っていく信濃に手を振りかえし、残りのメンバーが手土産に拾ってきた資材を受け取っていく。量は少ないため、自分ひとりでも運べる程度だ。最後のひとりからも、同じように資材を受け取る。ありがとう、と言ってその顔を見上げた。

「ありが、と……う?」「ああ。ただいま、うすき」「あっ、うん。おかえ…り……」「?どうかしたか??」「…いっ、いや…なんでもない」「……そうか?なら良いのだが」

慌てて首を振り、そして急いで目を逸らす。動揺を隠すように、足早にその場を立ち去った。後ろで「なんだアレ」と厚が不思議そうに呟いたのが聞こえた。それを無視して廊下の先の先を歩いて、歩いて走って立ち止まる。

あれはなんだったのだろうか、とそして頭を抱えた。あの一振りはなんだったのだ、と自問した。
先程声をかけてきた刀剣男子の名前が何故か思い出せない、ましてやその顔も黒い靄が覆っていて見えなかった。顔だけ、そう、先程見上げた顔だけが視認することが出来ない。…強いて言えば、目の奥に灯された光だけがやけに鮮明に輝いていたのだけはわかった。その瞳の奥に、ギラギラと何か大きなものを秘めているような、そんな鋭い瞳。身震いをひとつする。

何が一番不思議かと言えば周りの反応だ。あんな状態の刀剣男子を前にして、何故、皆平然としているのか。不思議でならない。おかしい。
まさか気づいていない?もしかして私がおかしい??

廊下の陰にいた私だが、とたとたとたと、刀剣男子たちが忙しなく本丸を走り回る足音が耳に届いてくる。部隊が帰ってきたのだから、当たり前だ。皆がそれを合図に夕餉の準備や諸々の作業を始めているのだから。それがいつもどおりの風景である。
だけれど先程の異常を目の当たりにしてしまった今、この日常的な情景に歪みを感じてしまう。違うのだ、何かが。「異物」が入り込んでいるのだと、誰もが気が付いていない!

いや待てよ。だけどもしかしたら、違うのかもしれないという考えにその時は至る。ここにきて、とうとう疲れが出てしまっただけ、疲労感による幻想、それだけなのかもしれなかったら?ただの目の錯覚だったのかもしれないなどと、言い切れない根拠は何処にもない。無暗なことを言って、彼らを不安がらせても仕方がないではないか。だから、そのことに関して私はそして口を閉ざすことにしよう。なかったことに、しらなかったことに。そう決めたのだった。

そして口を閉ざして幾数週間。だが、異常はいつまでたっても異常なままであって、だけれども誰一人として気が付く者は居なくて。悶々とした日々は続く。

「うすき、大丈夫?なにかあった??」「…ぁ、なんでもないよ。もう寝ようか」「…うん」

日課であった布団の中での昔語りもままならない。だけど、私が彼は信濃のであるのだと確信をもって断言できることがうれしくも思えて、ふいに彼を抱きしめる日々が続く。

だがそんな日々も、終わりを迎えるのだった。