浦島

本丸の裏手の一角には竹林がある。何故かと問われればわからないとしか答えようがないが、きっと日本家屋ならではといえば…というだけであろう。特に変哲もない、代わり映えのしないただの竹の林が群をなしていた。

あまりそこに近づく者はいない。というよりも、本丸からあまり遠く離れていかないようにというのが、我々の無言のルールであったからか、わざわざそこを訪れようと考える者がいなかったのだ。
そう考えると、鬱蒼とした空気を放つ竹林は、ある意味で柵の役割を成していたのかもしれない。これ以上先にはいくなという、つまりは警告だ。

だが、いつからだろう。その警告を無視してそこに近づく者がいることに気が付いたのは。誰も近づかず、通りもしないから、獣道と化していたその場所を。何者かが踏み均して一本の道を作り上げていることに気が付いたのは。

長曽祢と桜見物をしたあの夜の次の日だったはずだ。


こっそりと、足音を忍ばせてその道を突き進む。やがて、鳥の鳴く声しか聞こえなかったこれまでの風景の中に、風を切る音が聞こえてきて、目的地に近づいたことに気が付く。太く凛々しく育ち上がった竹の影から、隠れるようにしてそこを覗き込んだ。

「……ふっ…ふっ…!」「(浦島くん…今日も一人で特訓してる)」「ふっ…ッ…」

木刀を規則的に振り下してを繰り返す、彼の傍には亀吉はいない。よくよく気が付けば、亀吉は私の足元にいて、心配そうに主人を見つめていた。救い上げるように持ち上げて、定位置である肩に乗せてあげる。

「ふっ…!」「君のご主人は頑張り屋だね」「………」

返事はなく、ただ緩慢な動きで首を引っ込める。その様を見つめていれば、カラン、という乾いた音と共にくぐもった呻き声が耳に届くのであった。

「いった…」「浦島、くんッ?!」「…あっ、お姉さん……」

右腕を左手で掴んで、痛みに顔をしかめている浦島に駆け寄れば。少しばかり緊張した面持ちで、此方を見上げてくる。片膝をついて視線を合わせれば、包帯の巻かれているその腕や手が、擦り傷、痣、潰れた血豆で浅黒く、また赤く染まっていることに気が付いた。

「っ…こんなに酷かった、の?(なんで気が付かなかったの…)」「お姉さん、なんでいつもここにきてたの」「なんでって…心配で…」「弱い俺を笑いにきたの??」

弱弱しい笑みを此方に向けてくる彼に、びくりと身体が震える。そういうつもりではなかったのだが、彼にとってはそう捉えられていたのかと、唇を噛みしめた。

「…笑いにきてたわけじゃないよ、ただこんな場所に一人で来てたから心配で……。でも話しかける勇気もなかったから、だから見守っていたんだ。ごめんね、こんなになるまで気づかなくて」「……いいよ、そんなの。そんなこと、思ってないでしょ…」「本当だよ」「……嘘だよ」

浦島が紡ぐ言葉に、どれだけの否定の言葉をかけてもそれは嘘にしか聞こえない。そう気が付いて、途方もなさに戸惑いを覚えてしまう。こういったときにどうすればいいのか、私には分からなかった。

「とっとにかく…手当を…あっ、手入れ…か?」「いいよ、手入れなんかしなくても。俺たちはただの物だから、人の子と違ってすぐに直る存在だから…いいんだ。このままで」「浦島くん…」

黙りこくって、俯いた浦島の姿をもう一度見直す。小奇麗にしてはいるが、治らない怪我や滲む血が巻いて誤魔化している包帯に滲んで痛々しい。パッと見ではわからないようにされている辺りに馴れている様子が見受けられた。

「…浦島くん、やっぱり今手入れをしよう」「…え」「いつやっても同じなら、今しよう。今すぐにその傷を治そう」「でも…主の手を煩わすことは…」「私は手入れをすることを煩わしいとも思っていないし、当たり前にやるべきことだと思う。浦島くんの主として、だから…ね」「でも…」

それでもと俯く浦島を、勢いに任せて少しばかり強引に腕を掴めば、彼が一瞬だけ緊張したのがそこから伝わった。軽く引っ張れば、たどたどしく立ち上がる。その反動で、浦島の手から垂れてきた血が私の衣服に跳ねて付くと、消え入りそうな声で「血が…」と呟いたが、それを無視して傷に触れぬよう慎重に手入れ部屋へと急ぐのだった。