長谷部

「主命はございませんか、主」
「いえ、その…」

彼がそう尋ねたのは何時間前だっただろうか、いやそれとも何分前だったか。「主命」を欲する彼は、幾度となく自分の元へと足しげく通い続ける。近待であろうと、なかろうと。主命が貰えるまで、それこそ此方がノイローゼになるまでそれを待ち続ける。

「主命はございませんか、主」
「…ちょっと、待ってくださいね」

求める答えが返ってくるまで、彼は問いかけを止めない。だが、「命」を与えるほどの何かを、私がそうそう持ち得ているわけでもなく。仕方なく、私は書きかけの書類に目を離して、彼に向き合うのだ。

「あのですね」
「はい」

その眼差しの強さと淀みない返事に少しばかり、心が引いた。そしてその瞬間に、踏み出そうとした一歩は地に足を付ける前に、止まってしまったのだ。口をモゴモゴ言いよどむ私に、長谷部はより鋭い視線を与えてくる。まだか、まだかと募る思いを視線だけですべてぶつけてきているようだった。

「…ええと、じゃあ一緒にテレビでもみましょうか」
「……テレビ、ですか」
「はい。休憩を取ろうかと、思いまして…ダメでしょうか」
「いえ、駄目だなどということは決してありませんよ。では失礼して」

テレビをつけ、流れ出したのはどこぞで人気の幼児向けアニメだった。コミカルな音楽が部屋中に流れ始める。そんな中、それとは正反対のアダルティックな気配が私に近づいてくるのだった。

「腰、失礼しますね」
「ッ!」

長谷部は私の背後に回ると、腰に腕を回して抱きしめるような形でテレビ鑑賞を始める。少し身をよじれば、逃がすまいと力を強めてくるのだ。吐息の近さと熱さに、身を固くすれば、くすりと小さく彼は笑う。

「のっ、喉が渇いてきましたねっ。」
「でしたらご用意が」

離れるための言い訳は既に看過されていたようだ、何処から用意してきたのか。湯気の立つ湯飲みを徐ろに取り出すと、それをなぜか彼が口付ける。ひとつ口に含むと、その場に押し倒し唇を押し付けた。ぬるりとした熱が口内に侵入してくるが、拒もうとすれば鼻を摘まんで強引にでも飲み干させようとする。ゴクリと喉を動かせば、長谷部は濡れた唇を離してからそれを一舐めした。

「毒見と熱冷ましに。火傷などしてはいけませんからね」

妖艶な笑みを湛えながら、長谷部は軽く熱をはらむ私の頬に口づけた。